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縁先に仕込む蚊遣りの渦巻に火ともす指を嘘が揺らめく
 
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04/19|題詠100首作品コメント(2)トラックバック(0)TOP↑
019:雨(行方祐美)
日照雨(そばえ)とはひかりの走り春先のひとり遊びに飽きたその頃



なんとも美しい歌です。晴れた日にさあっと細かく通り過ぎる日照雨を「ひかりの走り」と呼ぶ。日照雨は「戯へ」とも書くことを知れば、下句の憂いを含んだ倦怠を洗い流して去る雨の清冽さもいや増すばかりですね。「ひかりの」「走り」「春先の」「ひとり遊びに」と続けざまにうたわれるハ行音がやわらかな緊張感をもたらし、結句でゆるやかにディクレッシェンドしてゆく感じも、緻密で完璧な計算の賜物なのでしょう。
04/19|題詠100首鑑賞コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
023:結(五十嵐きよみ)
水引きの結び目を解く、つぎつぎと解く苛立ちを鎮めるために



五十嵐さんの題詠100首のブログ、タイトルからモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」をモチーフにしたと思われ、カテゴリはその登場人物名になっていて、それぞれを作中主体としているようです。100首まるごとが短歌によるオペラになっているのでしょうね。(オペラには詳しくないのでもし違っていたらごめんなさい。)100の題全体を眺めて計画を練り、最終的には壮大な連作に仕上げてゆく手腕には惚れ惚れするばかりです。

さて、ドンナ・アンナが一人称となったこの一首。水引きがたくさんある状況というのは、ドン・ジョヴァンニに殺された父親の葬儀のあとでしょうか。二句で一旦切り、四句目前半で畳み掛けて性急なリズムを作ることで、苛々した感じを醸しているのですね。許嫁とともに復讐を誓うドンナ・アンナ、これからどんなアリアを聴かせてもらえるのかが楽しみです。
04/18|題詠100首鑑賞コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
垂直に落ちるかなしみ キッチンの床に卵を拭う夜更けは
 
04/17|題詠100首作品コメント(2)トラックバック(0)TOP↑
つぎに逢うときにはとんぼ さざなみの影立つ夕暮れの水に沿う
 
04/17|題詠100首作品コメント(0)トラックバック(1)TOP↑
007:揺(末松さくや)
パンゲアの授業が残る黒板を揺らして創造主の放課後を



揺らせる黒板なのだから可動式のタイプですね。言われてみれば黒板そのものがパンゲアのようにも見えてきます。放課後の教室をひとりじめして、黒板を揺らしては創造主気分を味わって遊ぶ作中主体。四、五句の句跨がりと「ソーゾーシュノホーカゴヲ」という音の流れが、なにやらユーモラスで大仰な、もったいぶった儀式のような雰囲気を醸しているようです。結句の言いさし加減や「授業が残る黒板」といったやや言葉足らずな表現が潔く、言葉の切り捨てかたに意識が行き届いているのを感じました。言いさしのかたちは読者を「創造主の放課後」へと誘う感じも醸しているかも。

末松作品には「やぶられた手紙の海で泳いでる無駄で馬鹿げてやさしいことば」「なげつけて死ぬはずだったものたちもやわらかく煮る白いキッチン」といった魅力的なものが多いです。言葉を扱うセンスに長けていて、一首のなかでの音の効果にも敏感な感じ。「すれちがうようであまくてやわらかいソフトクリームの螺旋のふたり」など、観察眼と比喩の的確さに惹かれたものもありました。破調の歌は少ないですが、この「007:揺」は決まっていると感じました。
04/16|題詠100首鑑賞コメント(0)トラックバック(1)TOP↑
005:並(水須ゆき子)
夕暮れの水は重くて父と子を並べて叱る背を撓めつつ



ぽっぽさんの作品は身体感覚に拠って立つものが多く、その重さや濃さがリアリティを持って読み手を打つ(敢えて「ぶつ」と読んで下さい)んですね。その身体感覚が「水」というモチーフに仮託されるとき、その強度はとくに大きいように思います。たとえば「中庭の金魚の池がまず暮れて鈴木小児科医院しずまる」「種籾を天水桶に浸すとき指の間(ま)淡きせせらぎを生む」など。そのなかで今回は「005:並」の一首をお借りしました。

この「父と子」とは、作中主体の「夫」と「子」なのでしょうね。教師が三者面談で、というより家族の情景と読みたいのは、作中主体が「父と子」にぶつけている心の歪みのようなもののせい。「背を撓めつつ」叱る、というところに、自らを正義とは捉えていない心情が見えてきます。むしろ「夕暮れの水は重くて」と、個人的な感覚がその状況を作っていることも自覚している。この「夕暮れの水」とは単純に空気や気分と解釈してもいいのでしょうが、体内の水分と読むとさらに強いですね。女性特有の、たとえば生理前の重苦しい感覚。女性は生理前には苛々することが多いですが、たとえばそんなふうに体調に左右されて感情まじりの叱責をしている自分を責めるているという。そこでさらに作中主体を鞭打つのが「夫(つま)と子」とするよりも「(子の前における)父と子」とした記述です。一首を統べる鬱鬱とした空気が、次第に暮れてゆく世界に、確かに重く沈んでいます。
04/16|題詠100首鑑賞コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
牛乳の瓶を鳴らして敷石を跳べば水原紫苑の花野
 
04/15|題詠100首作品コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
片方がゆくえを消したゆびきりをおもう二月の髪を結うとき
 
04/15|題詠100首作品コメント(1)トラックバック(1)TOP↑
雨ばかり聞き分けたがる耳を閉ざしてレントゲン技師の休息
 
04/12|題詠100首作品コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
人でいることに疲れる 夜半あかく虞美人草を膝に咲かせて
 
04/12|題詠100首作品コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
057:鏡(春畑 茜)
鏡より〈われ〉を外して春昼のさくらあふるる城へ馳せゆく



春畑作品には、どんな難しい題をも自分のものにしている確かさを感じ、その巧さに溜息を誘われるばかりです。もう、妬ましいったら(笑)。

出掛けるために鏡の前で着飾り、化粧をし、全身を確かめる。そこには確かに《われ》がいる。しかし支度を終えて鏡の中から自分の影を消したとき、《われ》は同時に鏡に映る《この世》からも姿を消し、作中主体はあらゆるアイデンティティを脱ぎ捨てて、ただ風のように春のひかりに溶けてしまうように思える。身支度とは姿を飾るためのものではなく、日常という場から消え去るための儀式だったのかもしれない。あとには人の気配のない《この世》が残されるばかり。

上のように読めるのは、「〈われ〉」と括弧内に表記されたことにより、肉体にとどまらぬ《われ》という概念がここに生じさせられているからですね。目的地が桜満開の城というのも時代を超越する感じ。ふっと足をとられて重力を失ってしまいそうな春昼の魔力に、危うい魅力を感じます。
04/12|題詠100首鑑賞コメント(2)トラックバック(0)TOP↑
004:キッチン(くろ)
まともな振りけふもできたり煌煌と真夜キッチンに遠吠えを聞く



キッチンは、特に妻や母としての役割を担う女性にとって最も「まともな振り」をしなくてはならない場所ではないでしょうか。どんなに心が乱れていようとも、「食」という日常を疎かにすることは家族のために憚られる。それがジェンダーという概念によって課された理想という幻想に過ぎなくても、実際の生活において、良くも悪くも、女という生きものにつきまとっている感触を実感として覚えます。だからこの作中主体が深夜、家族が寝静まったあとに「まともな振りけふもできたり」と息をつく場所がキッチンである、というところにリアリティを感じるのですね。「遠吠え」が本能的な心の部分に直結してくることは言うまでもありません。

注目したのは「煌煌と」です。意味を補完しつつ読めば「煌煌と(灯のともる)真夜(の)キッチンに遠吠えを聞く」となるのでしょうが、「煌煌と」のあとにあるべき「した」とか「照る」といった言葉が省略されているために、まるで「煌煌と」が「聞く」に係っているように読めます。このことによってこの描写の範疇は単なるキッチンの電灯のみにとどまらず、深夜にひとり遠吠えを聞いている作中主体の精神を照らしだし、一首の凄みを増したのではないか、と感じます。
04/12|題詠100首鑑賞コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
051:しずく(謎彦)
さかしまのしづくと化して馳せあがるわがカルタゴの重装気球



今年も画像型トリビアとのコラボレーションで参加する謎彦さんの作品群は、どれもエンサイクロペディアのように楽しく読むことができます。言葉の遊びに大変長けた方だと思いますが、ものを見る目の確かさと見立ての美しさに心動かされることも少なくありません。

この一首もそのひとつで、重力に逆らいゆっくりと離陸してゆく気球を《逆さまに落ちてゆくしずく》に見立てた美しさ切なさに、一読感嘆するのでした。「馳せあがる」もきれいです。さて、その美しいしずくたる気球の本体には「美人湯」だとか、何やらエレクトロニクス関連らしい広告が印刷されています(http://japondama.exblog.jp/tb/1419308の画像参照)。そんな商業主義のもとに機能している日本を「わがカルタゴ」と微妙に揶揄しているのでしょうか。ちなみにカルタゴとは地中海に面していた古代の小さな商業都市の名で、その国家的商才をもって度重なる戦争から何度も復興を遂げたことから、しばしば日本と比較されるのだそう。この「復興」のイメージが、見る見る膨らんで飛び立ってゆく気球の様子と響きあい、かすかな揶揄を孕みつつも長閑で泰平な眺めをひろげてくれるように感じるのです。
04/12|題詠100首鑑賞コメント(4)トラックバック(0)TOP↑
信号が滲んで見える雨の日の草をふるわすようなくちづけ
 
04/10|題詠100首作品コメント(6)トラックバック(1)TOP↑
アーモンドグリコ、adidas、雨粒に五月を宿し舗道をはしる
 
04/10|題詠100首作品コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
いま風が吹いたねきみのスカートが孕んだ青空をぼくにくれ
 
04/06|題詠100首作品コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
010:桜(ハナ)
桜など関係なくて薬局でバンドエイドを20枚買う



ざっと流し読みしていたときにファーストインパクトで目に留まった一首です。

何と言ってもいきなり「桜など関係なくて」です。わざわざ「関係ない」と表明されているので、きっと本当は気になる方が当然といった状況なのでしょう。ふつうに考えれば花が満開とかで、きれいだとかブラボーだとか、思わず足を止めて見入ってしまうような。しかし桜「など」で、そのうえ「関係なくて」です。何となく性急な印象の初句二句。

そんな上句を駄目押しするように、続いて来たのが「バンドエイドを20枚」です。ジョンソン・エンド・ジョンソン社のサイトによると「バンドエイド」のバラ売りはないようですが(http://www.jnj.co.jp/consumer/index_bandaid.html)、とにかくその救急医療用品の商品名と枚数に「すわ何事!?」と尻込んでしまいます。怪我人多数なのか、満身創痍の人がいるのか。花見の席で何か起きたのか。それにしては、バンドエイドで済むレベルなのか、とも思ったり。きっと怪我の程度は大したことないのだけれど、怪我人がたいせつな人なので大慌てなんだろう、と妄想は果てしなくひろがります。

これが「バンドエイド20枚」ではなく「豚毛の歯ブラシ30本」とか「軍手420組」とかだと解釈はまったく変わってしまいます。そして「絆創膏」という間延びした響きよりも「バンドエイド」という片仮名固有名詞の軽やかさを選んだところが成功しているのではないでしょうか。
04/06|題詠100首鑑賞コメント(2)トラックバック(0)TOP↑
029:草(kitten)
弾かれた草が何度も挨拶するように戻るただ悲しいのは何故?



昨年は意地でも韻律をシカトしているようにしか読めなかったkittenさんの作品ですが、この一首に立ち止まり、今年は(まだ全部は読んでいないけれど)韻律を踏まえつつ作っているのかなと感じました。

 弾かれた/草が何度も/挨拶する/ように戻るただ/悲しいのは何故?

五句に区切るならこうですが、自然に音読するとこんな感じです。

 弾かれた草が何度も挨拶するように戻る/ただ悲しいのは何故?

三句目まではほぼ定型で違和感なく読めます。四句目五句目がそれぞれ一音ずつ字余りしつつ句跨りしていて、その捩じれたリズムが感情のおさまり切れなさや焦れったさのようなものを感じさせるとともに、弾いても弾いても同じ動きを繰り返す草の描写から作中主体の内面へと直結させる仕組みになっているように思います。「ただ悲しい」で止めず「何故?」と問うてしまうあたり、「考える葦」のかなしみも彷彿とさせますね。
04/06|題詠100首鑑賞コメント(2)トラックバック(0)TOP↑
仕事の合間に気まぐれに、ではありますが、今年も鑑賞はじめます。
カテゴリ「題詠100首鑑賞」でまとめて御覧になれます。
鑑賞させていただいた歌にはトラバします。どうぞよろしくお願いします。
04/06|題詠100首連絡コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
深海の魚は動かず 真夜中の医局の澱に浮くあばら骨
                   ※澱=よど
 
04/05|題詠100首作品コメント(2)トラックバック(0)TOP↑
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プロフィール

ひぐらしひなつ

Author:ひぐらしひなつ
歌人。2003年、第一歌集『きりんのうた。』を出版。

公式サイト
Very Very WILD HEART
http://www2.spitz.net/hinatsu/

ブログ
さざめきたてるきみの抒情の
http://hinatsu.air-nifty.com/

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